元附属天文台所属・名誉教授 一本 潔

画像
一本潔先生

2023年3月をもって定年退職しました。私は1976年から大学と大学院の11年間(なぜか2年多い)を京都大学で学び、その後 20年ほど東京の空気を吸って、2008年に教員として京都大学に戻ってきました。この15年間、飛騨天文台を勤務地としてほぼ毎週、飛騨と京都を行き来する生活を続けてきましたが、時はあっという間に過ぎ去った思いがします。
 「紅萌ゆる丘の花・・」、45年前、学生だった私は口ずさみながら深夜の鴨川を歩いていました。河原町界隈で飲んだ帰りだったと思います。当時先斗町は一見さんお断りのお茶屋さんが並んでいて、私等はとてもお店に入ることができませんでしたが、今は海外からの観光客で路地も店も埋め尽くされています。時代は変わりました。宇宙物理学教室や花山天文台では、夜になると宿直部屋で先生方、諸先輩、後輩、技術職、事務職の人たちとよく酒盛りをしていたのを思い出します。研究や進路、世の学問、教室や天文台の運営、そのほか他愛もない、いろんな話を聞いて成長(?)したのではないかと思います。昨今コロナ禍もあってこのような風習が途絶えてしまったことは誠に残念な気がします。そして京都大学に勤めた最後の3年間は、多くの方々と直接お会いする機会が少なかったことも心残りとなりました。ただ、諸々の会議や研究会がオンラインで行われるようになり、これまで遠隔地とか僻地と言われていた天文台と京都キャンパスの距離がなくなったことは少し救いだったかもしれません。
 この15年、天文台での観測・研究もさることながら、やはり多くの学生と交わることができたことが何よりも大切な思い出となりました。そして人に教えることは、それ以上に自身が学ぶことであったことを痛感しています。京都大学は私にとって一貫して学びの場であったといえます。この4月からは立命館大学(草津キャンパス)で宇宙科学の講義を担当することになりました。これまで自分が専門としてきた分野以外のことを教えるのは楽しくもありますが、日々の勉強はまだまだ欠かせません。また飛騨天文台にはやりっぱなしのこともあり、これからも時々お邪魔して整理をしていきたいと考えています。
 「変人は最大の褒め言葉」とは、私が京都大学ですり込まれたマインドだろうと思います。今でいうダイバーシティの尊重でしょうか(女性を変人と重ねると怒られそうですが)。昨今の変革の波は並々ならぬものと思われますが、是非京都大学の精神をもって乗り越えていただきたいと思っています。
 末筆ながら、在職中は天文台の運営や、研究・教育のあらゆる面において、研究科の先生方、事務の方々に大変お世話になりました。厚くお礼申し上げます。そして、皆様のご健康と益々のご発展をお祈りいたします。